『はなすことから生まれる』
「はなす」に漢字をあててみると、「話す/放す/離す」と出てくる。“話す”は言葉による会話を、“放す”は手を放すというように他者との肉体の接触を、“離す”となると物質との距離感を想起させる。対義語に焦点を当てると、“話す”に対する“黙る”は他人の存在を前提として内に篭った印象を、“握る”は“放す”より具体的に他人への信頼や肉体の交信を想起させるし、“離す”に対する“付く”はやはり物質との距離感の違いだ。
スケートリンクに話を移す。履き慣れない不安定な靴を履いて、氷上に足を“付ける”。滑る地面を知覚して足先の感覚は敏感になり、“黙って”足先へと神経を集中させる。そして立ち上がるために相手の手を“握る”。最初のうちは相手と“話し”ながら気を紛らわせて、手を借りながら恐る恐る足を”離す”動作を試してみる。次第に足元の感覚に慣れてくると手を“放して”一人で立てるようになり、さらにしばらくすると一人で滑れるようになっている。そういえば小学生の頃自転車に乗る練習をする時、こうやって両親の手を借りたものだった。そうした経験は子供の頃だけだと思っていたが、大人になってもからだを預けられる誰かがいることのよろこびをスケートリンクは改めて教えてくれる。
制作した壁画は、自転車の練習をしていた小学生の頃に使っていた折り紙やガムテープ、封筒や塵紙を素材として扱った切り絵だ。制作中は家族がよく声をかけにきた。つまりそこには“話す”があり、一方で独りの制作中は“黙る”時間だった。そして“離す”や“付ける”には糊を使った工作的な動作が、“放す”と“握る”にはハサミやカッターなどの道具を関連付けることができる。切り絵もまた「はなす」ことから生まれるのである。
グラフィックデザイナー。多摩美術大学を卒業後、資生堂を経て個人で活動。女子美術大学、多摩美術大学非常勤講師。